
様よりお借りいたしました。
6:道具ネタ
自己紹介の途中にもハマった同人誌の話で書いたのだけれども、以前にハマった二次元の二次創作で、攻めが、高校生の中身だけれども小学校低学年、受けは高校生というパターンの同人誌にハマって集めていたのですけれども、もちろんこれは、確か買った同人誌もだったと思うし、自身が書くにしても、道具が無ければ成り立たぬというかで、一時期色々と書いたものでした。
小学生の低学年でもそれなりに大きくすることは出来ても、その先はまだない身体でしかなく、しかもすでに放出の快感は、人相手ではなくとも味わっている人間が放出できぬ体に逆戻りしていて、愛する、という感情を動物的衝動であらわそうとしたときに、最期までは遂げられぬわけだから屈折が確実にあって、という辺りも込みで書くことにハマっていたのだけれども、割合といつも、話がSM的になりやすいほうなので、その方面としても面白いと思って書いていたわけです。
放出の快感を得られぬのだけれども、相手を縛り上げて道具で攻めたおして、相手が放出するのを眺める時に、自身には訪れないイライラとともに、相手を屈服させた快感とともに、愛おしい気持ちも持っている、というような、なんかそういうごちゃごちゃしたものをどうにかして書きたかったので、この設定は割合と長らく凝ったような気がします。
そのせいでこのジャンルは、今や他に沢山の人気の組み合わせが出来上がっているのに、未だに、ここで色々といじくり倒した設定の二人から先にほとんど踏み出していないです。
というわけで、道具ネタ肯定派です。
しかしよくよく考えたときに、昔の腐女子って割合と百合ものに否定的な人が多かったと思うんです。女である自分自身すら否定するかのような空気が割と普通にあった気がするし、なのですけれども、なぜに百合ものを書かぬのかという理由として、穴と穴であるから、身としての棒がないから、というような、意味は多少ずれますけれども男根主義的というか、シンボルがあって、納めるべき場所ではないとはいえ、男性の場合には気持ちの良いスポットもある穴もあって、だからそこで二つの生き物が一つにつながることが出来るというわけで、というようなどうでもいい小理屈を言っていた思い出。
でも道具使ってしまってるじゃん、というね。
百合ものやノンケものではなく、なぜにやおいなのか、ということを考える時に、別にね、このジャンルであるのならば、女王様的な女がM男を道具で犯すというような話であったって構わなかったはずなのに、なんでやおいなんでしょうね。
なんにしても、好きだと思ったキャラクターがいて、二次元の場合はほぼその人を受けにすることに決めるところがあるので、最初はそれでこの変な組み合わせの同人誌にたどり着いたのかもしれないけれども、書き出したら結構色々と感情のパターンを見つけられるのではないだろうかとか、思ったものでした。