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老腐人の友

スキルもなければ趣味の幅も狭いけれど 35年以上腐っているアラフィフ腐女子です。

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本日の老腐女子:15

特に出掛ける用もなかったものの、ふと、そういえばアマゾンから届くものがあったぞというので、ポストを見に行く。



なんだかんだで日曜日は、あと一週間ろくに家事を細かくは出来ぬと思っているせいで、忙しくしているし、溜まった録画も見なければならないので、ナマモノに関連していそうなごく短い部分を読んだだけですけれども、確かに教科書的に様々網羅しているもので、少しずつ読んで楽しもうと思います。

そうして、ぱらぱらとめくってそこを見つけただけだから、もしかしたら他に書いてあるのかもしれないのだけれども、そのナマモノに関する数ページに、私が子供の頃に自然発生的にハマったナマモノジャンルで、その数年後には普通に薄い本も手に入ったし、私のハマった人たちだけではなく、数組のめぼしいところでも一部で盛り上がっていてネットのない時代だけれども入手できたし、そういった事象があることが分かった上だろうなというようなドラマがあったり、さらにその数年後には商業でも出るという、どんな暴挙なんだろう、本人たちも良く把握はしてなかったみたいなのに、ということがあったり、その周辺の人たちからさらに広がった新しい人たちを特集するような雑誌が数種類出た上に、腐女子層に対してアピールするような写真の多いものが出る、というジャンルに括られる人々が、入っておりませんでした。

どちらかといったら二大ナマモノジャンルの片翼と思ってましたけれども、本にはアイドルという括りであったからかもしれないものの、このジャンルの二大大手の片翼のもう一方と私の思うところの大手アイドルの人々と、私が無知にして知らぬものの、その子たちがこのジャンルを把握していることは確かだろう、ぐらいの情報は持っている、外国のアイドルの人々を取り上げておりました。

つい最近テレビで、私が長いことナマモノといったらこれだと思っているジャンルに属する方々が、なぜ?と思いつつも需要があるらしいからBL的なポーズで取材に応じているという話をしているのを目にしたばかりで、なぜならば、非常に分かりやすい形で絆とか仲間意識であるとか一緒に同じ目標を持って頑張っている、というものを見せてくれる場合が多いからだ、と思いますが、しかしまあ、美しさを売っているわけではないからなのか、ナマモノの板にいる腐女子の方でさえ、大昔からあって、大昔からすでにそちらの側の方々にも把握されているジャンルではあるのに、最近盛り上がっているジャンル、と思っている方もいらっしゃる様子なので、思っているほど二大ジャンルではないのかな、などと思ったり。

80年代辺りには、アイドルの同人誌を書いていることが事務所にばれて本人の前で朗読をさせられたという、都市伝説か事実か分からぬうわさが流れたものでしたけれど、あれ、どうなのでしょうね。その少しあと、90年代初め辺りに盛り上がったスポーツのジャンルの方々のところには、同人誌が良く送り付けられて、皆で回し読みをしたとかいう話をどこかで読みました、そういえば。

なんにしたって、自身を商品として提示する職業の方の場合は、自身が一生懸命に取り組んでいる職業に関する様々ーーーーーー芸能であれば、歌や芝居や話しの技術、機転を利かせる回転の速さやらというような、スポーツならばその技術ーーーーーーこそを評価してもらいたいだろうけれども、スターである、衆目を集める場所にいる、というような、その人物そのものに人々が価値を見出す職業でもあり、男女ともに、自身が様々な意味で性的な消費をされてしまうことはあり得るということは知ってはいるのでしょうし、今の時代であるということを考えたら、BLに関してはほぼみんなが、自身は対象ではなかろうとタカをくくっている人はいるとしても、知っていると考えたほうが自然でしょうが、まあね、普通はあなたでとんでもない妄想をしていますなどと本人へ言うのは、マナー違反であるし品のないことだから、あんまり大っぴらになると、逆に住みにくくなっていくのではあるのかもしれないな、って思いますけれど。

オリジナルのBLに関しては、驚くほど大っぴらになって、昔の人すぎる私はそれでも近所の本屋で買うことを躊躇いますけれども(ネットのない時代に『June』を買っていた時には、小さな書店で、どうしてなのか近所では唯一置いていたところへ、毎度、店番のじいさんが嫌味っぽいことを言うのに耐えながら買ったものでしたけれども)、それでも驚くほど何でも手に入るような時代になって便利だなとは思っています。
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本日の老腐女子:11

きのうは疲れていたので休みましたが、そのぐらいにして細々と、でもあまり間を開けずにやっていけたらいいや、と思い始めました。

だいたい、100の質問や回さなくても良いバトンといった、10年ほど昔には沢山あったものはほぼなくなってしまってせっかく面白そうな質問を見つけても、こちらからお借りしました、のリンクへ飛ぶと「404」ばかりなのです。

もう思い出話でつなぐばかりなのか、あるいは腐女子に関連する言葉で何か書いていくぐらいしかないのか、という具合。

中学生になって、同じような趣味の仲間がいることがわかり、そのうちに友人たちのうち数人が、授業中に書いたネタ的な手紙を休み時間にくれて、というわけで私のほうでも休み時間に、やおい的ネタを投入した替え歌作りだとか、描けない絵をどうにか描いてみたり、変な小話みたいなものを書いたり頑張り始めました。

面白いところのないじぶんしかおもしろいとおもわないようなものを思いついた時には、とりあえず自分で読むノートに書くだけです。

そのうちに友人の一人が、交換日記をしよう、と言ってきました。
二人とも張り切って一回に数ページを書き、私はといえば5ページは書かねばならぬと思っている節があり、授業そっちのけでネタを考えていたものでした。

友人のほうでも、どうにか面白がって欲しいという気持ちであったのでしょう。彼女も最低3ページぐらいの気持ちで色々仕上げてくれました。
というわけで、私たち二人が書いたものを、他の友人たちが休み時間に回し読み、その時に得た感想でまた、同じものを広げたり違うものを考えたり、楽しく過ごしたものでした。

SNSなどない時代で、ワープロは、あったのかもしれないけれども文集はガリ版擦りだったような時代です。みんなで同じ話題で盛り上がる時にアナログな方法しかありませんでした。

何冊目まで出来上がったかよく覚えていないですけれど、何ページも書くので、すぐにノートの冊数は進んでいたはずです。

当時の私にとってそのノートは、萌えの昇華のためというよりは、友人たちに面白いと思ってもらえることに血道を上げるためにあるツールでした。なのでこのノートの中身は全て、やおいに関係のあることばかりでしたけれども、魂の部分が少々、当時の耽美とは関係がなかったかもしれません。

割合と深夜ラジオのノリのネタばかり書いていたので、耽美のふりをしつつもただの下ネタということが多かったような気がします。その時のノリだけで書いていたので、ほとんど内容を覚えていませんけれど、愉快だったし、友達の反応を見ながらさらにもっと面白がってもらおうと頑張っていたあの頃の情熱が、少々懐かしいです。

本日の老腐女子:10 思い出語り~本

同人文化が大きくなっていったC翼の頃から同人文化を知ったのだとはいえ、田舎の女子中学生が手に出来る既成の萌えなど、本当に少なかったのが80年代後半頃でした。

当時私は、名前だけは知っていても『June』を本屋で探すこともしていなかったし、女子中学生には手の届きにくいものでもありました。

というわけで自然、小説の中のそういったものを探して読むことになります。
情報も、ネットなどない時代ですから、なんとなくのものを自分で集めていくしかありません。

というわけで、三島由紀夫の『仮面の告白』だとか、森鴎外の『ウィタセクスアリス』だとか、その娘の茉莉の書いた『恋人たちの森』だの、中上健次の『賛歌』、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』、私がハンドルネームに登場人物の苗字を借りた『孤島の鬼』、稲垣足穂『少年愛の美学』といったものであったり、映画で見た『モーリス』は当時の友人が小説を買ってくれたのでそれを読み、あるいは軍人ものにハマって軍についての本を読んでみたり。トーマス・マンだのヘルマンヘッセだとか。

倒錯的なにおいを求め、特にそういう題材ではなくとも、江戸川乱歩はよく読みました。そのせいで自身の書くものが少々SM趣味みたいなのかもしれません。

そういえば、学生時代に授業で戦争について書くための資料として読んだドイツについての本で、ハンス・カロッサという方の書いた愛国心を持たせるための詩が紹介されていたのですが、ゲイ文学のガイドブックを買ってきたときに名前を見つけて、えらく不思議な気持ちになったものでした。

戦争ものと言えば、日本の話では加賀乙彦『帰らざる夏』は耽美です。今どきは、「暗いので注意!」とか書かれてしまう系なのですけれども。

「暗いので注意!」といえば、すでに文学からそういったものを探さずとも、かなり豊富にものが売られ始めるころかその直前辺りで友人に勧められて読んだ、『草の花』も美しい話でした。

他にも何かあるはずですが、明日も仕事で、そのあと金曜日まで働かねばならんので、この辺でおやすみなさい。

本日の老腐女子:4 思い出語り

 私の中学生の頃には、本当に衝撃的なことではありましたけれども、英国映画ブームというものが来て、男と男が愛し合う映画がこの世に存在するんですってと、色めき立ったものでした。

 『モーリス』『アナザー・カントリー』『マイ・ビューティフル・ランドレット』といったものを、当時は近所にツタヤがなかったのか、まだ全国展開していなかったのか覚えていませんが、地元にあった大きなレンタル店で『モーリス』のポスターを貰って来たりもしつつ、何度もレンタルして観たものでした。

 その流れで、友人が見つけてきた『寄宿舎~ジョルジュとアレクサンドル』という少女漫画さながらのフランス映画や、『美しき少年~エルネスト』という、こちらは具体的に潤滑油の話まで出てくるのだけれどもオチに納得がいかなかった映画にも出会いました。

 勿論、伝説の美少年ビョルン・アンドレセンの『ベニスに死す』にも。
あの美しさを最初に目にした時の衝撃は忘れられません。

 『モーリス』は今どきのBLの雛形になりそうな話運びで、階級差もテーマとなっているお話。主人公は最初からゲイです。ケンブリッジ大学で出会った、当時の流行だった心だけファッション・ゲイの地主の息子に心を弄ばれ、揉めたりもしたけど仲直りして、そうして所詮はファッションでゲイぶってただけなので結婚してしまう友人、というのが前半戦。

 その後、家へ遊びに行ったりもするのですけれど、その時に出会ってしまった若い狩猟番(原作では少年になってるけど、当時24歳ぐらいだったR・グレイヴスが演じてます。『シャーロック』のレストレード役の方です)になぜか、「俺を呼んだろ、聞こえたんだ、何も考えないで、横になって」などと言われながら夜這いを掛けられて惚れて、しかし身分の差があるせいですれちがってしまったり、みたいな。

 『アナザー・カントリー』は、パブリックスクールを扱った物語。本当にいた人物をモデルとしていて、当時学生の間に広がっていた共産主義的思想とを絡めた物語なのですけれども、これか、『モーリス』の大学の主人公の同級生に、すでに波平ハゲみたいな同級生がいたのでしたけども、どっちだったのだろうか。

 『マイ・ビューティフル・ランドレット』はパキスタン人の青年で、コインランドリーの経営を叔父から任された男が、人種差別主義のの暴徒に襲われたときに、昔なじみの友人だった英国人の男に助けられ一緒に暮らすようになり、というような。ちなみに英国人の男は、すでに引退してしまったものの三回オスカーを受賞した男、ダニエル・デイ=ルイス。ちなみに彼のお父様は宮廷詩人であり、ニコラス・ブレイクの名前で推理小説を書いてらっしゃいます。

 『寄宿舎』は、寄宿学校の上級生と下級生の恋の物語。ちょっと衝撃を受けたのは、血の誓いを行う二人の姿。しかし下級生君があまりにも小学生のようで、ちょっと違和感がありはしたのだけれども。白黒映画です。温室だとか寄宿学校だとか、、完全に昔の少女漫画です。

 『美しき少年』は、色々衝撃的で、少年と最初に恋仲になった男が、関係するときにオイルを持っていく話をする辺りで、それまでに何冊もの同人誌を読んできていたとはいえ、おぼこだったし、だいたいおぼこでなくなったって、中学生女子がわざわざケツの穴でいたすというのを思い浮かべるわけでもないから、いきなりの展開にビックリしました。

 なるほど潤滑油化、とは思ったものの、その後、ゲイの方の買う雑誌をいくつか読んでみた際に、どういうものか肛門濡れる人がいるという衝撃的な話を知って、人体の不思議に思いを馳せたものでした。

 『ベニスに死す』は、最初のほうは爺さんが旅に出る場面が続き(しかし爺さんとはいえ、『地獄に落ちた勇者ども』のダーク・ボガード)、しかし美しいビョルン・アンドレセンの演じるタッジオ少年が映った瞬間、本気で息をするのを忘れるほどの美しさに、感動したものでした。多分、彼の人生史上最高の時が封じ込められた映画なんではないでしょうか。

 少年の華奢さと、男の身体に変化してきている風味、美しい卵型の顔の中に左右対称の整った、憂いと鋭さとあどけなさを併せ持った瞳、スーッと通った鼻、愛らしい唇、そうして金色の髪という完璧な容姿に、華奢なセーラー服や昔の水着なんかを着て、ただひたすらに美しいものでした。当時、自分も少女だったくせにショタ属性がなかったんではあったものの、そんなものなど関係ない、崇高な美しさでありました。

映画自体は、自身が老いてこないと、ひたすら美しさを愛でるばかりで、、老人への共感もしづらいかもしれないのだけれど。

本日の老腐女子:3 思い出語り

腐女子であるということは、中学に入って腐女子仲間が出来てから後は、学生時代はまったく隠していなかったです。

 一番の友人と言えるカテゴリーの人々以外には、それほど変態のようなことを言っていたわけでもないんだけれども、でも普通にみんなが、あいつホモ好きらしいよ、と言っているような具合ではありました。
 
 そもそも割合と変わり者とされる位置にいて、それでいやな思いをしたこともないままに自然発生的に腐女子的嗜好が沸き起こってきて、というようなところがあって、最初こそ、一番に仲の良かった子へ初めて打ち明けたやおい的妄想の柔らかいやつに、え!?という顔をされてしまったので、しばらくひそやかな趣味でしかなかったですけれども、中学で仲間を見つけ、というか、自分の中に湧いて出た変な趣味が、実はきちんとした形で沢山の人が楽しんでいる趣味であることが分かって、しかも友人たちも同じものを共有できるという嬉しさで、全然、隠す気持ちになどならなかったものでした。

若い日の屈折で、大多数と違う人であることを強調したがるような部分もあったのかもしれません。当時は、今のようにBL漫画の売り場がせんようにあったりせず、というか、BLや腐女子という言葉もなかったのです。 

近所には『June』を置く本屋がひとつしかなくて、 そこの爺さんと言える年齢の店主は、買うたびにちょっと嫌味みたいなことを言うので、とても後ろめたいものなんだろうね、っていう気分にはなりました。しかしノーテンキなので、通販サイトもない時代ですし、電車に乗って大きな街に出ればもう少し大勢に紛れて買うことができることは分かっていたものの、年中行事だよね、と思いながら爺さんの店に行っていたものでした。

 そこから少し長じて社会人になったかまだ学生だったかは忘れましたけれど、友人と一緒に東京の、新宿か池袋かの本屋へ行った際に、その当時はまだ珍しかったBLコミックスコーナーが本棚一つ分ほどあることを発見したことがありました。

 二人でフフフ、と笑いあっていたところ、前から歩いて来た、その当時の私たちと同じぐらいの年齢の女性がものすごい形相でガンたれしながら横を通り過ぎて、これはきっと、その人はBLというか、当時なのでjunestであって、私たちがその趣味を馬鹿にして笑っていると勘違いをして、自分の愛するものをけなす女ども、と思ったのであろうと友人と話したんでしたが、本当に昔は、自分は腐女子です、ということは結構重くて大きくて後ろ暗くて、でも守らねばならぬ聖域、というようなものであったんではありました。

いまやどこの本屋にだってBLコーナーはあって、というか、先の件があった前後ぐらいに、腐女子向け雑誌のバブルみたいなものが起こりました。

続く
        
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