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老腐人の友

スキルもなければ趣味の幅も狭いけれど 35年以上腐っているアラフィフ腐女子です。

本日の老腐女子:23 SMネタ

 様よりお借りいたしました。

8:SMネタ

その昔、昭和の頃というのは、今よりも子供と大人に明確な線が引かれていたのではないかと思うのだけれども、子供向けの、妙におどろおどろしい児童書のシリーズがいくつも出版されていたものでした。

今だって、私が子供の文化に疎いだけで、子供のためのおどろおどろしい本はあるのかもしれないけれども、当時のその手の児童書の挿絵は劇画調で妙にリアルで、変に残酷だったり不気味だったりして、どういうものかそこに変なエロティシズムすらあったのですけれども、長じて、その挿絵をお書きになっている方のおひとりが、『June』の挿絵や芸の方やSM好きの方の雑誌の挿絵もやってらしたと知り、その方の挿絵のものばかり見ていたわけではないのだろうけれども、醸し出されるエロスは、その方のイラスト自体が色っぽかったからなのかもしれぬということを思いましたが、被虐や加虐に妙な色気を感じるのは私だけではないはず。

自分がやったりやられたりしたいというよりは、そこにある物語を考えることにエロスがあるというか、単純にいじめたりいじめられた李が好きなだけ、というので行われるSMは沢山あるのだろうけれども、そこにいたる境地であるとか、その二人の関係性を空想するのは、そこにもエロティシズムが発生してくるような気がするのです。

以前に、どうして自分は腐女子なのだろうというのを考えて、何回目かの私的な腐女子論を書いていた時に、男女の話ではあるけれども、阿部定事件の猟奇的なのに純愛的でもある要素が、オチが死にネタのやおいに通じるものを感じるというような話を書いたような覚えがあるのだけれども、究極のSMといってしまってはSM好きの人は文句があるのかもしれないけれども、無理心中という形をとるでもなく完遂された、相手を自分のものにしてしまうための殺人と、さらには相手のシンボルを切り取って持ち歩くフェティッシュさに、この事件を知った時には、やおいに通じるものがあるんだよ、という気持ちにさせられました。様々な、相手を自分のものにしたい事件がある中でも、これが群を抜いているのは、SMというよりはフェティッシュな部分が強いからかもしれないんですけれど。

というわけで、SMネタは美味しいと思っております。
こいつは、やおい及びBLの持つ、愛する人に対してフェティシズムを発揮しているのめり混み方にも、エロティックな部分にも語り掛けることの出来るネタであると考えていて、実際、自身で書く時にはやたらと使います。

ちなみにSMの女王様が、ノンケの奴隷同士に愛し合えと命令して本当に愛し合わせてしまうということが、世の中のどこかでは行われているのだそうで、なんかもうこれは女王様も込みでそのシチュエーションに萌える気がしますけど、これは単純に私が変質者なのでしょうか。

単純に性的興奮を満たすための関係性なのかもしれないものの、これが現実になるというのって、すごい関係性ですよね。

その昔『June』の増刊で『ロマンJune』というものが出て、これは結構、SM的なものが多かったイメージなのですけど、そうしてなかなかにツボを突かれたのですが、というわけでSMとやおいやBLは相性が良いと思っています。



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