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老腐人の友

スキルもなければ趣味の幅も狭いけれど 35年以上腐っているアラフィフ腐女子です。

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本日の老腐女子:25 結婚ネタ

 様よりお借りいたしました。

10:誕生日ネタ

薄い本で二次創作を買っていた、という人であったならば、割と良く遭遇したことのあるネタが「誕生日」だと思うし、ああ、今年もこの日がやってきて、私この推しにハマってもう〇年経つのね、などと思いを馳せるのにも丁度良い、「誕生日」。

普段、好きな設定であるかどうかすら考えたことはないものの、これは多分、好きだと思います。

生まれてきてくれてありがとう!
そう思う気持ちを自らも心の中で叫び、物語の中では攻めと受けが祝う、というこの日。

誕生日占い、というものが割合と好きで、今の時代はどうなのか知らないけれども、その昔ゲームセンターには相性を占うためのゲーム機がだいたい置いてあって、同人誌を書いていた頃に友人たちと一緒に、その時の推しの生年月日で占いをするという遊びをしていました。

二次元の二次創作である場合は、まるで本当にそこにその人が生きているかのように、占い結果でイキイキした二人の様子を思い浮かべることが出来るし、三次元の人たちであったのならば、もしもノンケでなかったとしたらという世界を妄想して楽しむことが出来るわけです。

誕生日ネタのお話だって、その占い結果さえあれば夢が広がる場合も多々あるというわけです。

しかしでも、私の若かりし頃に遭った相性診断の占いの機械は、男同士での相性を見ることが出来なくて、受けを女設定にして占っていたかもしれません。それで結果が悪かったら、そこはそれ、ってなことで、男女を逆にしてみるのもご愛敬かな、と。

そういえばもう二十数年も昔、三次元で好きなCPをいつでも妄想していたいと思い、二ついっしょに持っていると相性が占えるのだったかする、占い用のおもちゃを二人分買って、毎日のように二人のその日の相性を見てはニヤニヤ妄想していたなってなことを、うっすら思い出しました。

こんな気味の悪いことをしていた私が、誕生日ネタを嫌いなわけがないです。
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本日の老腐女子:23 SMネタ

 様よりお借りいたしました。

8:SMネタ

その昔、昭和の頃というのは、今よりも子供と大人に明確な線が引かれていたのではないかと思うのだけれども、子供向けの、妙におどろおどろしい児童書のシリーズがいくつも出版されていたものでした。

今だって、私が子供の文化に疎いだけで、子供のためのおどろおどろしい本はあるのかもしれないけれども、当時のその手の児童書の挿絵は劇画調で妙にリアルで、変に残酷だったり不気味だったりして、どういうものかそこに変なエロティシズムすらあったのですけれども、長じて、その挿絵をお書きになっている方のおひとりが、『June』の挿絵や芸の方やSM好きの方の雑誌の挿絵もやってらしたと知り、その方の挿絵のものばかり見ていたわけではないのだろうけれども、醸し出されるエロスは、その方のイラスト自体が色っぽかったからなのかもしれぬということを思いましたが、被虐や加虐に妙な色気を感じるのは私だけではないはず。

自分がやったりやられたりしたいというよりは、そこにある物語を考えることにエロスがあるというか、単純にいじめたりいじめられた李が好きなだけ、というので行われるSMは沢山あるのだろうけれども、そこにいたる境地であるとか、その二人の関係性を空想するのは、そこにもエロティシズムが発生してくるような気がするのです。

以前に、どうして自分は腐女子なのだろうというのを考えて、何回目かの私的な腐女子論を書いていた時に、男女の話ではあるけれども、阿部定事件の猟奇的なのに純愛的でもある要素が、オチが死にネタのやおいに通じるものを感じるというような話を書いたような覚えがあるのだけれども、究極のSMといってしまってはSM好きの人は文句があるのかもしれないけれども、無理心中という形をとるでもなく完遂された、相手を自分のものにしてしまうための殺人と、さらには相手のシンボルを切り取って持ち歩くフェティッシュさに、この事件を知った時には、やおいに通じるものがあるんだよ、という気持ちにさせられました。様々な、相手を自分のものにしたい事件がある中でも、これが群を抜いているのは、SMというよりはフェティッシュな部分が強いからかもしれないんですけれど。

というわけで、SMネタは美味しいと思っております。
こいつは、やおい及びBLの持つ、愛する人に対してフェティシズムを発揮しているのめり混み方にも、エロティックな部分にも語り掛けることの出来るネタであると考えていて、実際、自身で書く時にはやたらと使います。

ちなみにSMの女王様が、ノンケの奴隷同士に愛し合えと命令して本当に愛し合わせてしまうということが、世の中のどこかでは行われているのだそうで、なんかもうこれは女王様も込みでそのシチュエーションに萌える気がしますけど、これは単純に私が変質者なのでしょうか。

単純に性的興奮を満たすための関係性なのかもしれないものの、これが現実になるというのって、すごい関係性ですよね。

その昔『June』の増刊で『ロマンJune』というものが出て、これは結構、SM的なものが多かったイメージなのですけど、そうしてなかなかにツボを突かれたのですが、というわけでSMとやおいやBLは相性が良いと思っています。



本日の老腐女子:21 結婚ネタ

 様よりお借りいたしました。

7:結婚ネタ

というか、二人の愛し合う同性同士のカップルがいて、好きだから一緒に暮らしていて、しかしその自治体には同性同士の結婚や結婚に準ずる制度がなく、といったときに、その生活を結婚と読んで何か差支えはあるのか、という気がするわけです。

二人の気持ちは、結婚で固まっている場合も多いだろうし、中には同性ですよ、って場合もあるのだろうし、だけれども、行政の側で何も保証はしてくれないし何も資格をくれるわけではないんですよ、という。

男女ならば、籍を入れる入れないは二人で選択したことでしょうけれども、そもそも入れる籍がなかったり、或いは似た制度を活用できるのだという場合でも、今の時代にあってもまだ、それを公にして何も差支えのない生活が出来るわけではないわけで、であるのならば、男と男で生活しているという形がそこにあったとして、指輪なんか普段付けないんだけれども上げていたりして、なんてことがあればもう、結婚だと思うわけです。

なのでこの辺りは非常に、何をもってして結婚ネタというのかが今一つ理解できていないのですけれども、受けが過剰に奥さん奥さんしていたりするのはちょっとイヤです。いえね、やおいだのBLの場合は、ですよ。やおいだったら割合と、二人ともノンケだったのに出会ってしまったのが運命でした、みたいな話が多いから特に、結婚という形式をとったと思ったらいきなり受けが女化してしまってはイヤなのです。

さて。
私は普段ナマモノ腐女子で居る率が高いのですけれども、結婚、という形式は別段そんなに生々しいところを考えなくてもいいので、とても便利だと思っていて、実は世間を欺いて二人で暮らしているということにしてしまえば、あとはすごく簡単に日常に現れる幸せな部分を妄想していけばよいだけ、となります。

ナマモノはそれほど、生々しい部分をどうしても考えなければというほどでもなく、ただ感情的にはどこかで二次元の空想よりも超えて行ってくれないと、現実に潰されかけるので頑張って考えろ!みたいな感じです。

花嫁衣裳を着せるというのは、ナマモノ二次元どっちでも面白いけれども、そのまま女っぽさ全開とかになったらそれはイヤかな、みたいな。

心のどこかでは、結婚、という制度はやおいにはいらない気がしなくもないのだけれど。


本日の老腐女子:20 タイムスリップネタ

 様よりお借りいたしました。

6:タイムスリップネタ

タイムスリップとやおいが結びつかぬ不甲斐なさで申し訳ないのですが、タイムスリップと聞いた時に思い浮かぶのが、BTFと時かけ、ターミネーターぐらいで、そもそもよく知らない分野ではあります。

しかしながら友人とイベントへ売り子として行くことと相成ったきっかけの、とある推理小説の主人公たちをカップルにする、という条件で始まったサークル活動で最初に書いた話は、タイムワープものでした。

といっても、タイムワープをしたことでカップルになったわけでもなければ、タイムワープ先の人間とどうこうなったというわけでもなくて、探偵たちがたまたま京都で出会った少女と一緒に江戸の昔に飛ばされて、当時、私がえらくハマっていたもののやおいとしてハマっていたわけではなくて、でも好き過ぎるほど好きだった新選組と出会って、隊員の一人に起こった殺人事件の疑惑を晴らすとか、なんかそんな話を書いたのでした。

江戸時代であれば、トリックでも何でも割合とがばがば設定でいけるだろうし、全く論理的ではないタイムトラベルの中の話であったら、さらにがばがばでOKなんではないの?という辺りも、その設定にした理由だったような気がします。

そういえば、タイムスリップではないのですけれども、昔よく目にしたのは二次元三次元問わずに、カップルの片方がどんどん子供に戻っていって最後は消えてしまう、というもので、きっと元ネタがあるのかもしれませんが、そこは知りませんが、やたらと目にしたのは、私が好きになるものに似た要素があったからなのか、単純にその形式の話に人気があったのか分かりませんけれど、とにかくやたらと目にしましたけれど、あれは人体がタイムスリップみたいな感じなんでしょうか。

タイムスリップした先の人間と恋に落ちる、というのは、その時代に自身が絶対に残るのでなかったら悲恋だし、残っても動乱の時代であったら悲恋になる可能性が高いし、と考えると、最近はあまり主流ではない話なのではないのかな、という気がするのですけれども、タイムマシーン的なものが登場して、動乱の世の中で身寄りのない誰かと出会って、となれば、その人を連れ帰ることは出来るということかな。

そうとなれば今度は、戸籍を買う等しなければ連れてきた相手が病弱であったりしたらもう、せっかっく現代の文明の中にいるのに、保険もないし戸籍のない人が入院できるのかね、ということになりそうだし、なかなか難しい気がするけれども、この分野に詳しかったら面白みも強そうなお話だな、と思いました。

現代に交わる場合、過去と未来のどちらの人が来た方が良いのかしら、とか、現代から行くのは過去と未来のどちらがいいのかしら、とか。やおいの興味よりもむしろそちらへの興味が強くなってしまいそうだけれども。

本日の老腐女子:19 道具ネタ

 様よりお借りいたしました。

6:道具ネタ

自己紹介の途中にもハマった同人誌の話で書いたのだけれども、以前にハマった二次元の二次創作で、攻めが、高校生の中身だけれども小学校低学年、受けは高校生というパターンの同人誌にハマって集めていたのですけれども、もちろんこれは、確か買った同人誌もだったと思うし、自身が書くにしても、道具が無ければ成り立たぬというかで、一時期色々と書いたものでした。

小学生の低学年でもそれなりに大きくすることは出来ても、その先はまだない身体でしかなく、しかもすでに放出の快感は、人相手ではなくとも味わっている人間が放出できぬ体に逆戻りしていて、愛する、という感情を動物的衝動であらわそうとしたときに、最期までは遂げられぬわけだから屈折が確実にあって、という辺りも込みで書くことにハマっていたのだけれども、割合といつも、話がSM的になりやすいほうなので、その方面としても面白いと思って書いていたわけです。

放出の快感を得られぬのだけれども、相手を縛り上げて道具で攻めたおして、相手が放出するのを眺める時に、自身には訪れないイライラとともに、相手を屈服させた快感とともに、愛おしい気持ちも持っている、というような、なんかそういうごちゃごちゃしたものをどうにかして書きたかったので、この設定は割合と長らく凝ったような気がします。

そのせいでこのジャンルは、今や他に沢山の人気の組み合わせが出来上がっているのに、未だに、ここで色々といじくり倒した設定の二人から先にほとんど踏み出していないです。

というわけで、道具ネタ肯定派です。

しかしよくよく考えたときに、昔の腐女子って割合と百合ものに否定的な人が多かったと思うんです。女である自分自身すら否定するかのような空気が割と普通にあった気がするし、なのですけれども、なぜに百合ものを書かぬのかという理由として、穴と穴であるから、身としての棒がないから、というような、意味は多少ずれますけれども男根主義的というか、シンボルがあって、納めるべき場所ではないとはいえ、男性の場合には気持ちの良いスポットもある穴もあって、だからそこで二つの生き物が一つにつながることが出来るというわけで、というようなどうでもいい小理屈を言っていた思い出。

でも道具使ってしまってるじゃん、というね。

百合ものやノンケものではなく、なぜにやおいなのか、ということを考える時に、別にね、このジャンルであるのならば、女王様的な女がM男を道具で犯すというような話であったって構わなかったはずなのに、なんでやおいなんでしょうね。

なんにしても、好きだと思ったキャラクターがいて、二次元の場合はほぼその人を受けにすることに決めるところがあるので、最初はそれでこの変な組み合わせの同人誌にたどり着いたのかもしれないけれども、書き出したら結構色々と感情のパターンを見つけられるのではないだろうかとか、思ったものでした。



        
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