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老腐人の友

スキルもなければ趣味の幅も狭いけれど 35年以上腐っているアラフィフ腐女子です。

本日の老腐女子:11

きのうは疲れていたので休みましたが、そのぐらいにして細々と、でもあまり間を開けずにやっていけたらいいや、と思い始めました。

だいたい、100の質問や回さなくても良いバトンといった、10年ほど昔には沢山あったものはほぼなくなってしまってせっかく面白そうな質問を見つけても、こちらからお借りしました、のリンクへ飛ぶと「404」ばかりなのです。

もう思い出話でつなぐばかりなのか、あるいは腐女子に関連する言葉で何か書いていくぐらいしかないのか、という具合。

中学生になって、同じような趣味の仲間がいることがわかり、そのうちに友人たちのうち数人が、授業中に書いたネタ的な手紙を休み時間にくれて、というわけで私のほうでも休み時間に、やおい的ネタを投入した替え歌作りだとか、描けない絵をどうにか描いてみたり、変な小話みたいなものを書いたり頑張り始めました。

面白いところのないじぶんしかおもしろいとおもわないようなものを思いついた時には、とりあえず自分で読むノートに書くだけです。

そのうちに友人の一人が、交換日記をしよう、と言ってきました。
二人とも張り切って一回に数ページを書き、私はといえば5ページは書かねばならぬと思っている節があり、授業そっちのけでネタを考えていたものでした。

友人のほうでも、どうにか面白がって欲しいという気持ちであったのでしょう。彼女も最低3ページぐらいの気持ちで色々仕上げてくれました。
というわけで、私たち二人が書いたものを、他の友人たちが休み時間に回し読み、その時に得た感想でまた、同じものを広げたり違うものを考えたり、楽しく過ごしたものでした。

SNSなどない時代で、ワープロは、あったのかもしれないけれども文集はガリ版擦りだったような時代です。みんなで同じ話題で盛り上がる時にアナログな方法しかありませんでした。

何冊目まで出来上がったかよく覚えていないですけれど、何ページも書くので、すぐにノートの冊数は進んでいたはずです。

当時の私にとってそのノートは、萌えの昇華のためというよりは、友人たちに面白いと思ってもらえることに血道を上げるためにあるツールでした。なのでこのノートの中身は全て、やおいに関係のあることばかりでしたけれども、魂の部分が少々、当時の耽美とは関係がなかったかもしれません。

割合と深夜ラジオのノリのネタばかり書いていたので、耽美のふりをしつつもただの下ネタということが多かったような気がします。その時のノリだけで書いていたので、ほとんど内容を覚えていませんけれど、愉快だったし、友達の反応を見ながらさらにもっと面白がってもらおうと頑張っていたあの頃の情熱が、少々懐かしいです。

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